新日本プロレスで1.4の内藤哲也の大合唱を乱入してぶち壊し「史上最悪の乱入者」となったKENTA選手。ネット上ではかなりマジな誹謗中傷を受け、全てを敵に回した。しかし、この男、めげるどころか、今では「バックステージコメント芸人」として、その地位を揺るぎないものにしている。
そんなKENTA選手が、どんな道を経て今の居場所にたどり着いたのか、その長いプロフィールや対戦成績を通じて、KENTA選手の歩んできた道のりをのぞいてみたい。
KENTA
団体 | 新日本プロレス |
ユニット | BULLET CLUB |
生年月日 | 1981/3/12 ( 43 才) |
出身地 | 埼玉県/草加市 |
デビュー | 2000/5/24 ( 24 年) |
デビュー戦 | 丸藤正道 |
得意技 | Go2sleep、ブサイクへの膝蹴り |
身長 | 174 cm |
体重 | 85 kg |
血液型 | O 型 |
入場曲 | CICATIRIZ |
@KENTAG2S | |
kentag2s | |
好きなもの | 平木太郎、CoCo壱、相撲、太ってるカメラマン |
KENTAのパラメータ
もはやKENTA選手は大ベテランの選手である。体重はジュニア級でありながら、ヘビー級戦線でも全く臆することなく渡り合う。体重差など微塵も感じさせない戦いを見せてくれる。
KENTA選手の武器は、強烈な打撃の数々。重い音が響き渡るミドルキック。中盤で繰り出す顎が砕けそうな張り手の連打。対戦相手は膝から崩れ落ちること間違いなし。さらに、顔面への膝蹴りやトップロープからのフットスタンプ。見ているだけでも痛い技のオンパレードだ。
『BULLET CLUB』に加入してからは、巧みなインサイドワークで会場の空気をコントロールする。相手をおちょくり、攻めてきたら場外へ逃亡する。観客への煽りも忘れない。しかし、そんなおちょくった戦い方をしながらも、後半には熱く真正面からぶつかり合う戦いも見せ、ファイトスタイルの懐の深さを感じさせる。
KENTA選手の本領は試合外かもしれない。その発信力は日本プロレス界でも随一と言ってもいい。SNSで、対戦相手への誹謗中傷をさせたら右に出るものはいない。とにかく全選手のコメントをちゃんと読んで、全部突っ込んでいく。特にYOSHI-HASHI選手への「ブスいじり」「棒いじり」は、愛すら感じるほどである。そして、バックステージコメントは太ってるカメラマンとのコントだ。YouTubeのバックステージコメントは、KENTA選手がサムネのものだけ再生回数が桁違いだ。そんなKENTA選手のバクコメ力はMAX10だ。
KENTAの必殺技『go2sleep』
KENTAのムーブ
バックステージコメント
・「結局、何が言いたいかっていうと」
・「太ってんな!」
先月までの最新試合結果
2024.7.5 東京武道館 | ||
---|---|---|
藤田 晃生 ザック・セイバーJr. | VS | KENTA 外道 |
0:06:20 Abandon Hope |
2024.7.3 後楽園ホール | ||
---|---|---|
カラム・ニューマン | VS | KENTA |
0:14:38 オスカッター |
2024.6.9 大阪城ホール IWGPタッグ・STRONG無差別級タッグ | ||
---|---|---|
ヒクレオ エル・ファンタズモ | VS | チェーズ・オーエンズ KENTA |
後藤 洋央紀 YOSHI-HASHI マイキー・ニコルス シェイン・ヘイスト | ||
0:16:24 スーパータンクバスター |
KENTAの年表
年月日 | できごと |
---|---|
2000.5.24 | 「全日本プロレス」に小林健太として丸藤戦でデビュー |
2000.6.16 | 「プロレスリング・ノア」に移籍。小橋健太の付き人となる |
2002.5.27 | リングネームを「KENTA」に変更 |
2003.7.16 | 丸藤、KENTA組が初代『GHCジュニアヘビー級タッグ王座』を戴冠 |
2005.7.18 | KENTAが第10代『GHCジュニアヘビー級王座』を戴冠 |
2007.7.15 | 石森、KENTA組が『ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦』を初優勝 |
2008.3.20 | 石森、KENTA組が第9代『GHCジュニアヘビー級タッグ王座』初戴冠 |
2008.9.6 | 石森、KENTA組が『ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦』を2連覇 |
2009.10.28 | 右ひざ前十時靭帯の断裂、外側半月板の損傷のため長期欠場 |
2011.1.29 | KENTAが『ディスオベイ』に加入 |
2011.3.5 | KENTAが『NO MERCY』を結成 |
2011.5.25 | 金丸、KENTA組が第14代『GHCジュニアヘビー級タッグ王座』初戴冠 |
2012.10.8 | KENTA、マイバッハ谷口組が第25代『GHCタッグ王座』初戴冠 |
2012.11.23 | KENTAが第3回『グローバルリーグ(現N-1 VICTORY)』初優勝 |
2013.1.27 | KENTAが第19代『GHCヘビー級王座』を戴冠 |
2013.4.28 | KENTA、高山組が2013年『グローバル・タッグ・リーグ』優勝 |
2014.4.30 | KENTAが『プロレスリング・ノア』を退団 |
2014.7.12 | 『WWE』で「ヒデオ・イタミ」のリングネームで活動 |
2015.5.7 | 肩を故障し長期欠場 |
2019.6.9 | KENTAが「新日本プロレス」の『G1 CLIMAX』へ参戦表明 |
2019.8.12 | KENTAが『BULLET CLUB』加入 |
2019.8.31 | KENTAが第27代『NEVER無差別級王座』初戴冠 |
2020.1.5 | 東京ドーム大会の内藤哲也の大合唱に乱入。史上最悪のバッドエンドを起こす |
2020.8.22 | KENTAが第1回『NEW JAPAN CUP in the USA』で優勝 |
2021.11.6 | KENTAが第11代『IWGP USヘビー級王座』初戴冠 |
2022.1.5 | 棚橋とのノーDQマッチで鼻骨骨折、左股関節後方脱臼骨折、背部裂傷縫合術、左環指腱性槌指となり長期欠場 |
2022.7.26 | 自伝『足跡』を出版 |
2023.2.19 | KENTAが第3代『STRONG無差別級王座』を戴冠 |
2024.2.11 | KETNA、チェーズ・オーエンズが第101代『IWGPタッグ王座』初戴冠 |
KENTA選手は、さまざまな道のりを辿った。
NOHAに14年、WWEに5年、新日本プロレスに6年、そして世界中の団体で試合をしている。
2000年、小林健太という本名で丸藤戦でデビュー。若手時代は小橋健太の2代目付き人(初代は金丸義信)を務める。ジュニア選手として戦っていたが、同世代に「天才・丸藤」がいたため、キック中心のファイトスタイルに変更し、「KENTA」として新たな道を切り開く。トップになるために、丸藤との「イケメンタッグ」を組む。わずか3年で「GHCジュニアヘビー級タッグ王座」獲得の快挙を達成する。そこからKENTA選手はノアであらゆるタイトルを獲得する。ジュニア、ヘビー、シングル、タッグ。ノアでのGHCタイトルを全て獲得し、2014年プロレスリング・ノアを退団。さらなる高みを目指し、WWEへ羽ばたくこととなる。
2015年についに「レッスルマニア31」へ出場するも、直後に肩を怪我し長期欠場となる。2016年にようやく復帰をするものの、今度は首を負傷しまたもや長期欠場の憂き目に遭う。2度の負傷で約1年半の欠場を余儀なくされてしまう。WWEで思うような活躍ができなかったのには、もうひとつ理由があった。必殺技である「go2sleep」が、すでにCMパンクに使われていたのである。そのため、KENTAは自分らしさを出すことができなかった。さらに後からWWEにやってきた日本人選手たちが台頭。中邑真輔・ASUKAの活躍を横目に、KENTAはWWEを退団することにする。
2019年、KENTA選手は自分の居場所を求め、新日本プロレスの「G1 CLIMAX」に参戦する。早々に呼び込んでくれた柴田勝頼を裏切り『BULLET CLUB』に加入。これが転機となり、KENTA選手はヒールとして花開くこととなる。
そして、2020年。1.4東京ドームで史上最大の乱入を起こし、新日本プロレス最大のブーイングを浴びる。SNSでは本気の誹謗中傷を受ける。1年以上経っても「死ね」と書き込まれ続ける。しかし、大注目を浴び、見事タイトルマッチへのチャンスを掴むことに成功。だが、チャンスはものにできなかった。さらに、そこへコロナがやってくる。アメリカ在住のKENTAは日本に渡航できず、しばらく戦線離脱を余儀なくされる。
そんな中でもKENTA選手は、新日本のアメリカ大会「NEW JAPAN CUP 2020 in the USA」で優勝。自らチャンスを掴みに行く。やがて、コロナが緩和され、新日本プロレスでも試合ができるようになり、『IWGP USヘビー級王座』を獲得する。だが、ここでもKENTA選手の道のりは平坦ではなかった。棚橋選手とのノーDQマッチで大怪我をし、またもや長期欠場となってしまう。半年ぶりの復帰戦も、KUSHIDAの復帰とかぶり注目されない。完全に新日本の主役から外れてしまう。
チャンスを掴んでは、困難にぶつかる。前進しては壁にぶつかる。そんな難儀な道のりの中、KENTA選手は自伝『足跡』の宣伝に注力する。もう試合の結果とかより、バックステージで自伝を宣伝しちゃう。
どんな困難があるときも、バックステージだけは自分の場所だった。いつも裏切らないのは、バックステージだけだった。そうして、ついにバックステージ芸人が誕生したのである。
KENTAの全対戦成績
年別の勝利数、敗北数、引分数、勝率の推移。Total | Win | Lose | Draw | Rate |
---|---|---|---|---|
334 | 174 | 160 | 0 | 52.1% |
合計試合時間 | 71:51:32 |
平均試合時間 | 0:12:54 |
メインイベント回数の推移
年別のメインイベントの回数、メインイベント率をグラフ化。メインイベント率が高いほど、メインイベンターとして重宝されている。Main Count | Main Rate |
---|---|
45 | 13.5% |
フィニッシュホールドTOP5
KENTA選手のフィニッシュホールドを集計してランキング。Rank | Finish | Count |
---|---|---|
1 | go 2 sleep | 32回 |
2 | GAME OVER | 17回 |
3 | 横入り式エビ固め | 11回 |
4 | 首固め | 5回 |
5 | エビ固め | 4回 |
波瀾万丈なKENTA選手ではあるが。2019年に新日本プロレスに本格参戦以降、勝率も試合数も比較的安定している。コロナで来日できなかったり、大怪我で戦線離脱したりしているのに、安定している。KENTA選手のサバイバル能力の高さを物語っているようだ。
一方で、メインイベントの回数は、下降の一途を辿っている。2020年に史上最悪の大乱入で、一躍新日本の中心に躍り出たが、その後は右肩下がりとなってしまう。2023年には、メインイベント回数はわずか3回となっている。
KENTA選手のフィニッシュ回数は、圧倒的に「go 2 sleep」。丸め込みも多数使って勝利しているようだ。
KENTAのシングルマッチ勝率
シングルマッチの年別の勝利数、敗北数、引分数、勝率の推移。Total | Win | Lose | Draw | Rate |
---|---|---|---|---|
76 | 42 | 34 | 0 | 55.3% |
合計試合時間 | 21:47:51 |
平均試合時間 | 0:17:12 |
KENTAのシングル対戦TOP5
KENTA選手とシングル対戦数の多い順でランキング。Rank | Player | 計 | 勝 | 敗 | 分 | Rate |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 棚橋 弘至 | 8 | 4 | 4 | 0 | 50% |
2 | YOSHI-HASHI | 5 | 4 | 1 | 0 | 80% |
3 | SANADA | 4 | 0 | 4 | 0 | 0% |
4 | ザック・セイバーJr. | 4 | 2 | 2 | 0 | 50% |
5 | 後藤 洋央紀 | 4 | 3 | 1 | 0 | 75% |
シングルマッチの勝率は、2020年をピークに徐々に下がっている。2023年には勝率50%を切ってしまった。
対戦相手別では、棚橋選手との対戦が一番多く4勝4敗で勝率50%。YOSHI-HASHI選手にはめっぽう強く100%の勝率だったが、2024年の『NEW JAPAN CUP』でついにシングル初敗北を喫している。
逆にSANADA選手にめっぽう弱く4戦4敗の勝率0%。煽りやのらりくらりとした戦法に全く付き合わないSANADA選手は、KENTA選手の天敵のようだ。
KENTAのタッグマッチ勝率
タッグマッチの年別の勝利数、敗北数、引分数、勝率の推移。Total | Win | Lose | Draw | Rate |
---|---|---|---|---|
62 | 32 | 30 | 0 | 51.6% |
合計試合時間 | 11:50:01 |
平均試合時間 | 0:11:27 |
KENTAのタッグパートナーTOP5
KENTA選手とタッグ組んだ回数順に、タッグパートナーをランキング。Rank | Player | 計 | 勝 | 敗 | 分 | Rate |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 高橋 裕二郎 | 17 | 9 | 8 | 0 | 52.9% |
2 | 外道 | 13 | 0 | 13 | 0 | 0% |
3 | チェーズ・オーエンズ | 10 | 5 | 5 | 0 | 50% |
4 | エル・ファンタズモ | 9 | 9 | 0 | 0 | 100% |
5 | 石森 太二 | 5 | 5 | 0 | 0 | 100% |
KENTA選手のタッグマッチの成績は、ドラマチックなくらいに不安定だ。
2021年にはタッグ勝率33%という心細い結果だったが、翌年には勝率76%に大躍進をみせる。その不安定さの原因は、タッグパートナーにある。KENTA選手はタッグパートナーによって、勝率が全然違うのだ。
外道選手とのタッグでは、残念ながら全敗で勝率0%。タッグが決まったらKENTA選手の勝利は絶望的だ。逆にELP選手、石森選手とのタッグでは勝率100%となっている。(2024年3月時点)。そして、チェーズ選手と『IWGPタッグ王座』を獲得した今は、チェーズ選手との勝率をどこまで伸ばせるか、これからの戦いに目が話せない。
KENTA ベストバウト
超個人的かつ評価の高い試合をピックアップ。あの頃のノアのジュニアがすごいことになっている。
▼KENTA vs 丸藤正道
2008.10.25 日本武道館『GHCヘビー級選手権試合』
▼KENTA vs ブライアン・ダニエルソン
2008.10.13 広島グリーンアリーナ『GHCジュニアヘビー級選手権試合』
▼丸藤正道、飯伏幸太 vs KENTA、石森太二
2007/7/15 日本武道館『ジュニア・ヘビー級タッグ・リーグ公式戦』
KENTA 関連グッズ
KENTA選手推しならマストバイ。あなたはどっちの『足跡』が好き?
まとめ
14年間、ノアで輝かしい栄光を掴んだKENTA選手。さらなる羽ばたきをしようと、自分の場所を求めWWEに移籍するも、2度も大きな怪我に阻まれてしまう。新たに新日本プロレスでヒールに転向し、プロレスファンの憎悪を集めたものの、チャンスをものにできず、コロナや怪我で道を閉ざされてしまう。
それでもKENTA選手は、何ひとつとしてめげることなく、いつも通りに観客の前に姿を現し、相手をおちょくり、客をおちょくり、バックステージでキレキレのコメントをする。いつしか、KENTA選手へのヘイトは消え、今ではバックステージ芸人として、その人気を確立している。
もちろん、プロレスでも結果を残している。2024年には『IWGPタッグ王座』『DEFY世界王座』の2冠に輝いている。転んでもただでは起きないKENTA選手が、これからどんな転び方をして、どう起きてくるのか、今後も楽しみだ。
それでは、一緒に素晴らしきプロレスライフを!