【永田裕志】完全攻略ガイドゼァ!

選手名鑑

新日本プロレス、最年長のレスラー永田裕志選手。

永田選手のレスラー人生は壮大な新日本プロレスの歴史そのものである。「ミスターIWGP」と呼ばれ、「プロレス凋落の戦犯」「天下を獲り損ねた男」と誹謗中傷され、グランドスラムを達成する。

そんな永田選手にプロフィールから迫ってみたいと思うゼァ!

永田 裕志

ブルージャスティス
団体新日本プロレス
ユニット青義軍
生年月日1968/4/24 ( 56 才)
出身地千葉県/東金市
デビュー1992/9/14 ( 31 年)
デビュー戦天山広吉
得意技バックドロップホールド、ナガタロックⅡ、腕固め、エクスプロイダー
身長183 cm
体重108 kg
血液型AB 型
入場曲MISSION BLOW
Twitter@nagata769
Instagramyuji_nagata
好きなもの永田焼き、YoutTube鑑賞、木村文乃、TEAM NACS

永田 裕志のパラメータ

総合点 42/60点

永田選手のキャリアは長い。所属は新日本プロレス一筋30年以上。創設者アントニオ猪木より、新日本プロレスの所属が長い。

永田選手は全方向にバランスの取れた選手だ。日体大のレスリング部所属で全国大会で優勝。確かなレスリング技術を背景に、美しい各種スープレックス、バックドロップホールドはもちろん、多くのオリジナルの関節技も持っている。打撃も強烈なミドルキック、瞬時に繰り出されるビッグブーツがある。どんな闘い方でもできるオールラウンドの選手である。55歳でも体はパンパンに仕上がっている。

打たれ強さも尋常ではない。鈴木みのる選手と対戦したときに、その打たれ強さはいかんなく発揮される。2020.6.17の対戦では233発、2020.7.31の対戦では287発の打撃戦。2試合で530発の打撃戦を行っている。親父にも殴られたことがないアムロ・レイには信じることができないだろう。

試合だけでなくパフォーマンスもガチだ。ガチの打撃戦や大流血戦を繰り広げたかと思えば、G1直前公開練習ではラーメン屋、リンボーダンス、アナウンサーなどコミカルな特訓を全力で行う。この振れ幅が永田選手の大きな魅力だ。解説でもそのスタイルは変わらない。「もっと絞めなきゃダメだね」「もっとリングの中央で極めないと」と常にガチの解説をする。

特にガチなのが、関節技をかけるときのガチさだ。ガチで技をかけるあまり白目になってしまう。会場では「白目」コールが起こるほどファンに人気がある。技をかけているのにも関わらず、白目のためドクターストップで負けたことすらある。「永田裕志白目剥いちゃう?剥いちゃわない?クイズ」までバラエティで行われる。そんな永田選手の白目はMAX10だ。

永田 裕志のムーブ

決めポーズ

コーナーに登って敬礼のポーズがシャッターチャンス

決めゼリフ

「1・2・3・ゼァ!」
「いいんだね?殺っちゃって」

先月までの最新試合結果

※新日本、スターダムでの試合限定
2024.3.20 アオーレ長岡
エル・デスペラード
海野 翔太
永田 裕志
VS 高橋 裕二郎
ジャック・ペリー
成田 蓮
0:09:41 コブラツイスト
2024.2.23 北海きたえーる
永田 裕志
VS ザック・セイバーJr.
0:07:56 腕ひしぎ逆十字固め
2024.2.9 古河市イーエス中央運動公園はなもも体育館
村島 克哉
永田 裕志
VS 嘉藤 匠馬
ボルチン・オレッグ
0:08:50 カミカゼ

永田 裕志の年表

年月日できごと
1992.9.14永田裕志が天山広吉戦でデビュー
1996.3.26永田裕志が『ヤングライオン杯1996』で準優勝
1997.3.3『WCW』に海外遠征
1999.8.28永田、中西組が第39代『IWGPタッグ王座』初戴冠
2000.11.30永田、飯塚組が『G1 TAG LEAGUE 2000』優勝
2001.8.12永田裕志が『G1 CLIMAX 2001』初優勝
2001.12.31総合格闘技に初参戦。ミルコ・クロコップと対戦し21秒で敗戦
2002.4.5永田裕志が第31代『IWGPヘビー級王座』初戴冠、当時の最多防衛記録10回を記録
2003.11.30永田、棚橋組が第7代『GHCタッグ王座』を初戴冠
2003.11.30永田、棚橋組が第7代『GHCタッグ王座』初戴冠
2003.12.31総合格闘技に急参戦。ヒョードルと対戦し1分2秒で敗戦
2004.6.12永田、カシン組が全日本プロレス第50代『世界タッグ王座』初戴冠
2007.3.21永田裕志が『NEW JAPAN CUP 2007』初優勝
2007.9.9地元東金アリーナで初の主催興行を行う
2008.10.13永田裕志がZERO1の第2代『世界ヘビー級王座』初戴冠
2009.9.27永田裕志が『青義軍』を結成
2010.5.3永田、井上組が第56代『IWGPタッグ王座』初戴冠
2010.11.7永田、井上組が『G1 TAG LEAGUE 2010』優勝
2011.3.20永田裕志が『NEW JAPAN CUP 2011』2度目の優勝
2011.4.13永田裕志が『チャンピオンカーニバル 2011』初優勝
2013.11.10永田裕志が『グローバル・リーグ 2013』初優勝。3大ヘビー級リーグ戦制覇
2014.2.8永田裕志が第21代『GHCヘビー級王座』初戴冠
2016.5.3永田裕志が第11代『NEVER無差別級王座』初戴冠
2017.8.11永田裕志がG1卒業宣言。最後の対戦相手は弟子のバッドラック・ファレ
2018.2.3永田、秋山組が第104代『アジアタッグ王座』初戴冠
2023.2.19永田裕志が第69代『三冠ヘビー級王座』初戴冠。グランドスラム達成

永田選手の歴史は、新日本プロレス激動の歴史そのものだ。

デビューした1992年、闘魂三銃士が大人気を博していた新日本プロレス。1992年から1.4東京ドームが恒例となり、ドームツアーをするまでとなる。95年のUWFとの対抗戦で頂点を迎える。永田選手もUWF対抗戦で、その力と才能を発揮する。しかし、格闘技ブームが押し寄せ、徐々に新日本プロレスは迷走の道を歩んでいく。

1998年の凱旋帰国後、新日本プロレスは怒涛の混迷期に入る。98年には猪木、長州が引退。99年には「1.4事件 橋本vs小川」があり、2000年には総合格闘技イベント「INOKI BOM-BA-YE」が開催される。橋本は引退し、武藤は全日に移籍する。新日本プロレスは完全に崩壊してしまったのである。「なんか思ってたんと違う」ってなったに違いない。

永田選手自身は、98年に負傷した蝶野選手の代わりに「IWGPヘビー級王座」に果敢に挑戦し玉砕する。その後、しばらくはタッグで活躍するが、2001年には「G1 CLIMAX」優勝という栄光を掴む。新日本のトップに輝く。しかし、周りに焚き付けられて「INOKI BOM-BA-YE」で総合格闘技デビュー。ミルコ・クロコップと対戦し、1R21秒で敗戦し、多くの批判にさらされることとなった。

だが、その翌年2002年には「IWGPヘビー級王座」を戴冠。当時の最多防衛10回を記録し、「ミスターIWGP」と呼ばれる。新日本のスターダムとなった。

しかし、猪木のメンツをつぶすわけにいかない、と急遽前日に決まった「INOKI BOM-BA-YE 2003」に参戦。ヒョードルと対戦し、1R1分2秒でTKO負けを喫した。永田選手は「プロレス凋落の戦犯」と批判される。ネットは誹謗中傷に溢れ、永田選手の応援サイトすら封鎖されるような状況となった。すべての憎しみが永田選手に向かって投げられた。しかも、その試合の永田選手のギャラは未払い。会社からもキズモノ扱いされ、「これからは若いものの踏み台になってくれ」と宣告される。挙げ句の果てには、出戻りの長州力に「天下を獲り損ねた男」と揶揄される。

永田選手もこの言葉が引っ掛かっていたのだろう。15年経ってからもSNSで呟いている。

しかし、永田選手は辞めることはなかった。ファンから見放され、会社にハシゴを外され、レスラーたちからもバカにされても、愚直に自分にできることをやり続けた。そして、ここから前人未到の大記録を達成していく。

2003年「GHCタッグ王座」、2004年「世界タッグ王座」を獲得し、3大メジャータッグを制覇。2007年「NEW JAPAN CUP」、2011年「チャンピオンカーニバル」、2013年「グローバル・リーグ」を優勝し、3大ヘビー級リーグ戦を制覇。2014年「GHCヘビー級王座」、2023年「三冠ヘビー級王座」を戴冠し、3大シングルタイトルを制覇タッグ&シングルダブルグランドスラムを達成する。しかも、永田選手は新日本プロレス一筋で他団体のベルトを奪取している。誰も成し遂げていないことを、成し遂げた。永田選手は天下を獲ったのだ。

とんでもない大記録だ。永田選手はもっと評価されるべき選手である。

永田 裕志の全対戦成績

年別の勝利数、敗北数、引分数、勝率の推移。
TotalWinLoseDrawRate
2201114010332851.8%
※集計期間:2007/5〜2024/5の新日、STARDOMの試合
合計試合時間480:07:14
平均試合時間 0:13:05

メインイベント回数の推移

年別のメインイベントの回数、メインイベント率をグラフ化。
メインイベント率が高いほど、メインイベンターとして重宝されている。
Main CountMain Rate
50122.8%

フィニッシュホールドTOP5

永田 裕志選手のフィニッシュホールドを集計してランキング。
RankFinishCount
1バックドロップホールド246
2バックドロップ・ホールド77
3ナガタロックII63
4サンダーデスドライバー30
5ナガタロックⅡ27

試合の集計は2007年からの新日本プロレスの結果結果しか集計していない。そのため、いちばんノリに乗っていた時期の永田選手の功績が含まれていない。ちなみに永田裕志が、年間で新日本プロレスだけで試合をしたのは3回しかない。2020年、2005年、1999年の3回。それだけ永田選手は新日本以外の他団体にも参戦しているのである。つまり、永田選手の実績は、こちらの集計では計り知れないといことだ。

でも、そんなこというと元も子もないので、新日本のリングだけで見てみよう。永田選手の勝率は全体的にじんわりと右肩下がりになっている。特にG1卒業宣言をした2017年以降は試合数も大きく減少。メインイベントは2012年から顕著に回数が減っている。

フィニッシュは圧倒的にバックドロップホールド。

永田 裕志のシングルマッチ勝率

シングルマッチの年別の勝利数、敗北数、引分数、勝率の推移。
TotalWinLoseDrawRate
3452091251160.6%
※集計期間:2007/5〜2024/5の新日、STARDOMの試合
合計試合時間75:26:28
平均試合時間 0:13:07

永田 裕志のシングル対戦TOP5

永田 裕志選手とシングル対戦数の多い順でランキング。
RankPlayerRate
1棚橋 弘至17710041.2%
2中邑 真輔1358038.5%
3鈴木 みのる1266050%
4真壁 刀義1173163.6%
5後藤 洋央紀1147036.4%

永田選手のシングルマッチの勝率は安定していない。特に2018年以降はシングルマッチの数も減少し、勝率がより不安定になっている。全体を通しては勝ち越しているようだ。

対戦成績も2007年からなので、永田選手の絶好調の時期が含まれていない。勝率が悪いのは、永田選手が若手の勢いに押されてきている時期からの集計だからである。ちなみに棚橋選手との全対戦成績(2023/12月まで)は、7勝10敗で勝率41.2%である。まあ、負け越しは負け越しのようだが、勝率はやや変わる。

永田 裕志のタッグマッチ勝率

タッグマッチの年別の勝利数、敗北数、引分数、勝率の推移。
※2人タッグのみの成績
TotalWinLoseDrawRate
8434124191248.9%
※集計期間:2007/5〜2024/5の新日、STARDOMの試合
合計試合時間180:03:55
平均試合時間 0:12:48

永田 裕志のタッグパートナーTOP5

永田 裕志選手とタッグ組んだ回数順に、タッグパートナーをランキング。
※2人タッグのみの成績
RankPlayerRate
1中西 学1769080551.1%
2棚橋 弘至492918259.2%
3井上 亘452817062.2%
4飯塚 高史422219052.4%
5タイガーマスク321715053.1%

永田選手のタッグマッチの勝率についても、全体的には右肩下がりの状況である。2022年は急激に勝率が上がっているが、タイガーマスク選手とのタッグで3戦3勝、藤田選手とのタッグで2戦2勝となっている。勝率全体としても、負け越しているので、永田選手はシングルプレイヤーの方が輝くのかもしれない。

タッグパートナーは野人・中西学選手とのタッグがダントツで多い。しかし、成績としては負け越している。

永田 裕志 ベストバウトゼァ

永田選手の振れ幅の広さがわかるように、ガチの試合と、ガチのコミカルさと、ガチのSNSの使い方を紹介ゼァ!永田選手は懐が深い。

▼【閲覧注意】永田裕志 VS 佐々木健介
2004.1.4 東京ドーム

▼中西選手との銅像の公開特訓

▼海野選手の自撮り泣き顔へのアンチリプへ、ガチのひとこと

永田 裕志 関連グッズ

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まとめ

永田選手はレスラー人生は重みが違う。

新日本プロレスから選手が大量離脱する激動の時代に、トップになった永田選手。その重圧は想像を絶する。猪木のために準備期間のない中、総合格闘技に挑んだ男気。しかし、たった2回の敗戦で、世間も会社も掌を返した。それでも永田選手は、新日本プロレスを辞めることはなかった。後輩の壁となり続け、新日本プロレスで戦い続けた。

求められることは常に全力でする。総合格闘技に参戦もするし、バラエティで乳首を責められて白目を剥く。その振り幅は広く深い。組織のため、業界のために、リスクを恐れない。とてつもなくかっこいい生き様だと思う。

公式ページでの永田選手のユニットは「青義軍」。本隊ではなく、いまだに「青義軍」なのだ。ソロユニットとなっても永田選手はユニットを解散しない。「キリンジ」と同じだ。ブルージャスティスに終わりはない。絶対に辞めない。それが永田選手なのだ。

今では誰もが「総合格闘技」と「プロレス」は違う競技だと知っている。しかし、当時はプロレスが最強、という幻想があった。アントニオ猪木の呪い、でもある。その幻想を、永田選手が人柱となり、打ち破った。世間から批判され笑われながらも、毎日トレーニングをし、他団体でも戦い続け、54歳で前人未到のグランドスラムを達成する。

永田選手こそが「ミスター新日本プロレス」なのかもしれない。永田選手にはいつまでも戦い続けてもらいたい。

それでは、一緒に素晴らしきプロレスライフを!